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2006年7月23日 (日)

LIVE情報

詳細がわかりましたので発表します。

月6日(日) 上大岡駅東口商店会イベント出演
上原巌バンドで出演。18:30-19:30入場料等無料
上原巌(テナーサックス)、天笠克己(ベース)、児玉貴雄(ギター、フルート)、他

8月11日(金) 上大岡エスニックレストラン「くんくんしーらや」
Nakajima Trioに参加 開演時間:19:00 ~ 3Stage チャージ無し
中島由乃(ピアノ)、工藤大三郎(ドラム)、金子航平(ベース)、
児玉貴雄(ソプラノサックス、フルート

暑い夏に熱いPlayを!

2006年7月16日 (日)

LIVE情報&

レギュラーバンドを離れてですが、8月にLIVEが2つ決まりました。

8/6(日)…横浜市上大岡の商店街イベントでtsの上原巌さんのバンドにfl&gで参加。4:00-7:00頃の間2セットあるようです。
8/11(金)…夜に上大岡くんくんしーらや(http://www.k2.dion.ne.jp/~kunkunsi/)でpの中島由乃さんのバンドに参加。詳細は分かり次第発表します。

ところで、小生が月に2回程度顔を出してます鎌倉のJamJamでのセッションが今度の土曜日をもって終焉します。理由は不明ですが、やはり毎土曜日に場を提供することは難しいんでしょう。参加料なんて無いに等しかったんですから。今までのマスターの太っ腹に感謝するとともにお仲間になって頂いた方全てをリスペクトします。皆さんありがとう。&最終日は盛り上がりましょう!

2006年7月14日 (金)

児玉メソッド(受売り編)

村上"ポンタ"秀一さんの「自暴自伝」が文春文庫から出まして、早速買ってきて読み終えました。
まあ、なんとも豪快で荒唐無稽でご機嫌な書ですけど、小生にしてみれば個人的事情から活動シーンが全く分からなくなった90年代のご活躍がよく分かりましたので時系列が繋がって大収穫です。
何を隠そう(別に隠してませんが)小生は神戸時代、やはり神戸出身の大村憲司さん、そして憲司さんに惚れ込んで赤い鳥に加入したポンタさん(なんか違和感があるので以降敬称略とさせていただきます。)お二方が憧れの人で、赤い鳥の神戸公演の楽屋口でサインを頂き、カミーノ神戸公演ではかぶりつきで見、深町純神戸公演でも譜面が見えるほどかぶりつき、神戸ヤマハのセッションではなんとリハからかぶりつき、のコアなファンでした。
そして、小生の所属してたバンド、コーポレート・パワーがヤマハ主催のコンテスト「ドラマーズ・チャンピオン・シップ」で当時売り出し中のNYのバンドStuffのナンバー「フッツ」で応募し、関西地区大会に進出したときポンタが審査員で、小生がリハを終えた後ロビーでくつろいでいたらポンタが現れ「いよっ、コーネル・デュプリー!俺スタッフ好きなんだよな。がんばれよ!」って声かけられて、もう嬉しいやらなんやら、その勢いでバンドは東京の決勝大会に進出したのです。(残念ながら決勝は敗れましたけどね)
前に書いた猪俣猛さんの言葉もこの時頂いたし、この時のDrはその後ポンタのボーヤになるし(その後辞めましたが…。今どうしてんのかな…。)、小生としては人生最高の時であったとともにポンタの言葉が生涯ミュージシャンでやってゆこうと心に決めたきっかけとなりました。
そして今でも、いつか共演するぞと心に決めてます。まだまだ時間かかるかもしれませんが、どうかお体に気をつけてご自愛のほど。小生が現れるまでDr叩いててください。って勝手な言い分で申し訳ありません。

さて、前回の続きですが、ポンタ本を読んでてまさにこれが全てという下りがありましたので受売りで恐縮ですけど小生も同感なので、書きます。
「全体を聴いて曲のストーリーを掴んでそれに相応しい演奏をする。」これが答えです。
リズムにせよ、コードにせよ、スケールにせよです。
スタンダードの場合、曲のサイズはもちろん、コード進行や仕掛け等の全体像を掴んでプレイする。これが一番大事でしょう。
この段階でバッキングは完成するでしょう。
どういう風にアドリブするかの段は、その次だと思います。だいたい好きな曲の場合、曲の全体像がつかめれば自ずとアドリブが口から出てくるでしょう。
そのために、事前準備としての譜面は地図であり取扱説明書であり、先達のCD等の演奏は道案内でありお手本だと思います。
ポンタも書いてますが、今は情報があまりに多く教えてもらおうと思えば金さえ出せばいくらでもかなう。でも、そんなのつまんないでしょう?
思い出してみれば楽器を始めた当時は何も分からずひたすら人の演奏を聴いて研究したでしょう?それこそ何をやってるか分からない時はライブをかぶりつきで見て、ギターだったらコードフォームを盗み見してたでしょう?そしてそれが出来た時の感動は一生忘れられないものでした。違いますか?
これはずっと同じだと思います。
これをやらなければならない。これが真の音楽だ。なんてのはナンセンスです。「これが好きだからやる。」が全てです。だから全てを知りたい。で、研究する。で、実際にやるためと他の人のプレイを研究するためセッションに行く。
そこでうまくいかなかったので、また研究しなおす。で、また行く。で、うまくいって感動する。さらにうまくいけば共演者や聴き手も感動する。で、次も感動したいので…と永遠に好循環が訪れて…。あっ幸せ。
テクニックを磨くためってのは自己否定を肯定に結びつけるための理屈で、聴いてる側には何の関係もないと思います。良いか悪いかだけですから。
良いと思うプレイを実現させるためのテクを磨くのは正解です。でもみんながやってるから、これをやらなければ基本が会得できないからなんてのはどうでもいいじゃないですか。
だいいち、みんながやってることと同じことやって聴いてる方が喜ぶわけ無いでしょ。
まあ、演奏する時のフィジカルな意味での姿勢は大事ですけどね。身体壊しますから。日野皓正さんも仰ってましたけどこれは他人に教えてもらった方が俄然良いようです。
あとVoもんの時「歌詞を理解する。」ってのも大事だなあ。これもポンタ本に同感。英語の場合はせめてタイトルの意味だけでもね。マイルスは「タイトルから曲が始まっている。」って云ってますし。

以上ですが、これじゃあポンタ本読んだ方がずっとためになるでしょうから、そうしてください。
っと、なんともしり切れで恐縮です。
それとSさん、はやく環境整えてこのブログのコメントに直接書き込んでください。でないとまるで小生の一人芝居のようでやるせない。
(おわり)

2006年7月 3日 (月)

児玉メソッド

昨日、ニューバンドArcadiansが始動しました。
で、早速Profileにこれを追加しましたよ。
今後次々ゲストも含め、いいミュージシャンはオファーして参加して頂くつもりです。皆様よろしく。
ちなみにArcadiansとは「桃源郷の人々」という意味で、まさに演奏中にやる方も聴く方も桃源郷に行きましょうという願いを込めています。
これについては実は小生はずっと勘違いしてたんですが、ケイジャンの原語Acadianとはスペルが違います。こちらはカナダのアカディアからルイジアナに移住してきたフランス人のことで、てっきりニューオリンズという理想郷に来たからそう呼ばれているのかと思ってましたが全然違う。もっともこの度のハリケーン被害で災害の多い地域であることや極端な貧富の差や人種差別があることが分かりましたから理想郷とはいえないですね。でも、音楽をやる者にとっては精神的な理想郷なのですから一刻も早い復興を願ってやみません。

ところで今回からたぶん数回に分けてですが、小生の演奏方法について解説したいと思います。「おまえのメソッドなんか読んでもなんの役に立たないよ。」なんて声もあるでしょうが、最近「どうやってるのか」「どういうスタンスなのか」「どういう了見でそんな恥ずかしいことができるのか」…等々質問が多いのでこの場を借りてご説明をと思いまして。

前にも説明しましたが、小生のルーツはフォーク~ブルース~ロック~ジャズロック(クロスオーバー)を経て、R&B、ジャズ、ラテン、ファンクのごった煮に至る系譜なのですが、やはり活動の中心はもっとも層が厚く懐の深いジャズの場となっています。
ジャズの人が集まると当然ジャムセッションとなるわけですが、日本の一般的なジャズミュージシャンは皆ビバップの洗礼を受けておりましてこれが一つの流儀になっているわけです。食事の時箸を使うかスプーン使うかの違いといえばよろしいでしょうか。
そんでもって小生も若い頃からせっせとビバップフレーズなど仕込んで挑んだわけですが、周りから「おまえのバップは民謡のリズムだ。」とゲラゲラ笑われて、いくら練習しても外面だけで演奏が佳境に入ると未だにこれが出ます。
フレーズもコピーした先からどんどん忘れていって、今ではそれこそ何も知らなかった頃よりもフレーズが減っているくらいです。詰め込んでいったら引き出しの底が抜けて全部無くなったというか。
それで感情の趣くままのパッションのみの演奏にならざるを得なくなったんですが、非バップ系の例えばラテン系とかレゲの集いに行くとこれが妙に受け入れられる。奇妙に思ってバップ以前の古いジャズを聴いてみて納得しましたが、要するにダンスミュージックだったわけですね。小生の居場所は。
加えてマイルス・デイビスの言動に力を得て、「Jazzは本来ボーダーレスだ。これでいいのだ。」と自信を持ってあちこちに顔を出すようになったのですが、「なぜバップをやらないの?」とか「ボサノバではチョーキング(ギターでのベンド奏法)は駄目よ」とか批判され、たまに誉められる時は「誰某の某アルバムみたいだね。聴きまくってるでしょ。」と知らないアルバムの名前を云われ、「これは的を得たり」と早速買ってきて次の機会にそれ風を披露したら逆にうけなくなったりしたりして、まだまだふらついているのですが大筋では自分のスタイルが築かれたのかなと感じております。先述の例えで言えば小生の流儀は手掴みで何でも食っちゃうというところでしょうか。(旨いねこりゃ。そのとおり。行儀悪!ぼく赤ちゃん~。)

さあここで神奈川県にお住まいのベーシストSさんからの質問、「玉ちゃんはどういう演奏方法でセッションに参加してるのか」にお答えしましょう。
先述したビバップはチャーリー・パーカーを中心とした当時の先鋭的ミュージシャンによって作られたもので、具体的にはウラのリズムを強調した4ビートにおいて速いパッセージでのコードのアルペジオやその音間を高速な3連系の経過音でスタンダードを中心にコーラス単位に流麗に即興演奏する音楽です。
本家のパーカーは一つ一つのフレーズにストーリー性があり同じものは二度と無い(たまに失敗もありますが…。彼も人なり。)完璧な演奏です。
当然その後パーカーをお手本にしてきた人は必ずといって良いほどパーカーフレーズが顔を出しますし、これさえ出来ればJazzとしての格好はほぼ整います。
対して、よくロック系の人が勘違いしてるのはスケール中心のソロです。これはロックがもともとコード感の少ないモード的音楽だからなのですが、Jazzがこの概念を持ち込んだのはマイルス以降で、しかもロックに比べJazzのモード奏法はかなり高度(速い、長い、アウトする)なものですからアマチュアレベルでは到底真似が出来ません。実際やってる人もあまりいない。
具体的に云えばロックの人はコード理論を詳しく知らないで自由にやってて、Jazzの人は一旦コードの全てを知った上での展開だからでしょうか。プライドの問題かな?
でもマイルスがやったように最終的には自由に行き着くんですけどね。
事実、70年前後にはJazzとRockはかなり接近します。ベースに至ってはこの頃もっともモードが分かっていたのはG.デッドのベーシストではないかと小生は思ってるくらいです。「ライブ/デッド」に顕著ですが、これはもうバッキングではありません。かといってソロでもない。凄い。
話を戻して、小生の演奏方法ですが、やはりコード構成音と経過音中心なんですけどいろんな音楽の影響うけてますからそこに変な跳躍やトリッキーな装飾を入れます。(まあこの部分が一番やりたいことなんですけど…。)それと先述したようにリズムがバップして無いですから、打楽器的なアクセントが中心となっています。モード的なプレイはブルースやる時でしょうかね。コード感はあまり関係なくなる。
違うのはGでのバッキングで、これはソロやる人に失礼だからバップビートに忠実にを心がけています。出来ない時は弾かない。
で、Sさんはベーシストなのでやはり参加するときはこのスタンスがよろしいのではないかと。対して、ソロは好きなようにサイズさえ間違わなければなんでもありでしょう。弾かないのも「アリ」です。
以下、次回。

2006年7月 2日 (日)

What a music!

なにかと慌しく過ごしてたら、また1ヶ月程度空いてしまった。最近は読んでいただく人が増えたのでまめに更新しなきゃいけないんですが、どうもうまくないですね。
ここしばらくは新バンドArcadiansに備えてSopranoSaxの練習に精を出しているのですが、楽器がどんどん鳴ってくるので面白くて機会があればじゃんじゃん吹いてるもんですから時間がどんどん無くなります。
おまけにFluteも好循環で鳴りが良くなってきたのでこっちも鳴らす時間が増えたし、残った時間で夜中なんかにGuitarを弾いているのでもう全く時間がない。それにほら、管楽器って場所を選ばなきゃいかんので移動時間もロスするしね。なんて、言い訳がましいんですがブログが書けないことはMusicianshipには反していないでしょ?どうかお許しを。
前に「楽器の話」で書きましたが、小生の手元に残ってるのは素晴らしい楽器達ばかりなので鳴ってくるともう楽しくてしょうがないんです。確実にレスポンスしてくれるから、Ah-ってなります。傍から見ると殆どガイキチの世界なんでしょうけどね。

楽器が鳴り出すと聴く耳の方も敏感になってきて、近頃はCDを大量入手し聴きまくってます。それから音楽関連の本もたくさん読みまくってます。えっ?それじゃ金が続かんだろうって?いやいや殆ど金はかからないんです。音も情報もインターネットで簡単に入手出来る時代だからか価格破壊が進み、CDは下は50円から上はせいぜい1000円程度で、本は100円で手に入ります。
CDはもちろん中古でですが、いわゆるレンタル落ちは極端に安く、辛抱強く探せばJazzの隠れた名盤が300円程度で手に入ります。もちろん傷物は覚悟のうえですし、時々ジャケットと中身が違う等のリスクはありますけどが、まあそれも福袋みたいで面白いし。
本は話題のBookOffですが、あちこちで百円コーナーを漁るとちょっと流行遅れのがいくつか出てきます。
「ジャズ・ムービー&ビデオ百科」とか「The Essential Disc Guide 2004」とかね。読むと結構面白いんですよねこれが。なかでも貴重な情報源になったのが講談社現代新書の「ロック」という本です。
前にこのブログで「ブルースのこと」ってタイトルでロック、ジャズ、R&Bの歴史みたいのを書いたんですが、この本を読んでほぼ正しかったことが確認できました。大きな認識違いは、小生は「ブルースがC&Wと融合し白人中心のセールスとなったのがR&R」と書きましたが、「あるDJがラジオ番組でR&Bをロックンロールと呼んで白人の若者に紹介しはじめた。」が発端のようです。エルビスなんかは白人でR&Bのノリが出せた人達であり、R&Rを作った人たちではなかったわけです。その後C&Wと融合したのはまあ白人の広い世代へのセールス手段であったようです。
この本が面白いのは、ロック登場以前から現在までアメリカ中心の商業音楽は創造と破壊を繰り返してきたという下りで、社会のどん底から反抗のエネルギーで飛び出してきた音楽が、セールスを上げるため耳ざわりの良い甘い傾向に変わってゆき、やがて飽和状態となり次の新しい反抗の音楽に生まれかわるといった状況。
ある意味小生の周りの状況は、セールスばかりに気を取られ退屈な音楽ばかり作っている日本の音楽産業に対するアマチュアミュージシャンの反抗のパワーともとれますし、現に飽和状態でCDがゴミ同然の扱いを受けてるわけですからオーバーラップします。
面白いのはパンクの下りで、「売れることに気を取られてロックをやるのは間違いだ。だから俺たちは売れたらやめる。」なんてカッコイイ台詞吐くんですが、結局売れなければシーンも消えてゆき活動の場も失うという悪循環で笑えない冗談になってしまう。本当に反抗したいのなら音楽という手段では何の役にも立たないていうことでしょうか。
この本の結びはB.スプリングスティーンの言葉が引用されているんですが、今のご本人の状況を見てると云い得て妙だなと思わざるを得ません。

「ロックンロール・バンドの生命は、バンドと聴衆の両方が相手を見失わない限り続いていく。両方の思いがヒューマンで現実的なものである限りだけどね。」

ロックに限らず音楽は相手の心に伝わってこそ命が吹き込まれます。What a music!

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